不幸者の話

私は過去の知り合いと縁を切ったわけだが、4人だけ今の連絡先を教えた知り合いがいる。

 

たったの4人しか連絡の取れる知り合いがいないにも関わらず、今日そのうち2人から生存確認の連絡が来た。

2人とも「SNSに居ないから元気かなと思って」とのこと。

SNSをやめて無の境地で約2ヶ月生活を送ってきたが、家族以外と連絡を取るこの感じ、とても不思議に思えた。

 

SNSを辞めて良くも悪くも心が空っぽになっていたが、恋しいような、(最低だが)不必要なやり取りに感じた。

 

大変嫉妬深い私にとって、SNSは知り合いの近況を知れるのはとても便利だが、それと同時に羨ましさや妬ましさも生まれていた。

そこから逃れた開放感は半端じゃない。

 

ただ、全てが全て必要ではなかった。

 

SNSでは見てくれる人、反応してくれる人、会話を送ってきてくれる人が居て常に監視されているようなものだが、誰しもが麻痺していてその縛りに鈍感になっている。

少し有名になれば反応も増え、もっともっとと欲が出て固執する。

 

自分より有名な人が目に入ればその度に羨み、妬む。

 

今の私は何のために生きているのか全く分からなく、よく言えば自分のために時間を使えていて、悪く言えば執着していたものが無くなり心が"無"だ。

慰めてくれる相手もいなく、褒めてくれる相手もいない。

全ての感情を自己処理せねばならない辛さを初めて実感した。

 

連絡をくれた2人とは30分程度やりとりをして終わったが、正直、気にかけて連絡をくれた嬉しさより何も持ち合わせていない自分が恥ずかしく感じ、幸せとは言えない心境だ。

ちなみに2人とも素敵な活動をしているからこそ、自分により劣等感を抱いたのだと思う。

 

逃げたかった・逃れられた"妬み"にまた少しだけ縛られた気分だった。

 

簡単な言葉でまとめると俗に言う"病んでいる"状態なのだろうが、現在の私は感情の起伏が皆無と言っても過言ではない生活を送っている(気持ちが下がることはあれど気持ちが上へ向くことがない)為、デフォで"病んでいる"のかもしれない。

 

ただ、羨み妬んでいた頃の心持ちよりは断然楽だと思う。

強がりとかでもなく、本心でそう思う。

 

プライドが高いのか理想が高いのか、高望みしすぎて現実と夢の区別がつかない過去の自分の心労は本当に無駄なものでしかなかった。

 

連絡をもらえたことを純粋にありがたいと思えない。

不幸者なのかもしれない。