また鬱だったらいいのになと思う日々の話

は?と思うタイトルだと思うが、一度鬱になったことのある人が再発疑惑を感じた時に少し頭を過る感情ではないのだろうか(他人の心情なんて知らんから言及できんけど)。

 

私は過った。酷かったのは約1ヶ月前、転職に完全敗北した時。

転職に失敗した話と鬱を経験した話はまた気が向いたら書こうと思うので、とりあえず20代貧乏娘は”一度鬱を経験しており転職に失敗した人”とでも認識しててもらえれば十分。

 

貯金が底を尽きる目処が立ち、更に正社員として働いていた転職前のツケa.k.a.クレジットカードの請求が確定し、先月の収入ゼロ、新しい職場は決まったものの研修開始前、更に更に単発の派遣アルバイトは申し込んだばかりで就労できないという最悪の状況だった。

生活費でも手一杯な上、税金や保険の支払い期限も迫っていた(毎月払わなければならないしそれなりな金額持っていかれるから今もしんどい)。

 

これを聞いたら”貧乏娘”とは言えなくなるかもしれないが、甘えからなのか過保護からなのか、有難いことに家賃は両親が払ってくれている。

以前勤めていた会社の給料は平均よりも少し高く、不自由なく社会人生活を謳歌していた(勿論家賃も自分で支払っていた)が、退職をしてから「引越しのために貯めておきな」とのこと。

まあ貯金できる余裕は一切ないため、きっと引越し資金も両親に出してもらうことになり得るだろう。

 

もう、家賃問題を考えるだけで嫌になる。

 

経済能力がないなら実家に戻るべきだろうが、それもそれで私にとってはストレスで、一人暮らしを始めた時、両親から解放された感じに涙したのだ(家族は大好き)。

基本的に1人でいることが楽だし好きなのだと自覚しているため、実家に戻ることは最終の、最終手段でしかない。

 

で、タイトルの話に戻るが、約1ヶ月前、おそらく鬱病を再発していたと思う。

鬱になった人あるあるで「鬱で辛かった時の”辛さ”が思い出せない」という現象があるのだが、私もそれに当てはまった。

 

私「鬱になったことある」

?「マ?どんな感じで辛いの?」

私「…。」

といった感じで具体的な辛いという感情が思い出せないのだ。

人生終了、死ぬしかないと心から思ってしまうほどの辛さ(極限の辛さ)だからこそ脳が意識的に忘れようとさせるのかもしれない。

 

思い出せなかったのに、びっくりするほど「あっこれ鬱になった時と同じ”辛い”だ」と一致したのだ。

 

まあ一致したところで病院へ行く金もない、行ったところできっと実家に戻るか現状をきちんと家族に話して対策をするくらいの問診で終わることはゆうに予想が付く。

死なない程度に生きるしかない。

当時は外に出ても歩くのもしんどい、家にいても何もできない、寝ても毎晩1~2回目覚めてしまうのに1日の睡眠時間は12~14時間(完全にバグ)。

 

今は死にてえ!とまでは思わないから正常に戻り始めているのだろうが、何のために生きているのか、何で仕事をしているのか分からない状態が続いている。

ただ、また鬱だったら仕事もしなくていいんだよなーというハッピーな気持ちと、両親にこれ以上負担を掛けられないという罪悪感がぶつかって更に辛い。

親不孝なことに、これがまた鬱診断されたらいいのになと心の何処かで常に思ってしまっている。

完全に現実から逃げたい。

(鬱は”現実から逃げてもいい””逃げるべき”状態だが、現状なんとか仕事も行けているし死にたい気持ちはそんなにないため、上記の「完全に現実から逃げたい」は鬱からの感情ではなく甘えの気持ちが強いということだけは相違がないよう記載しておく。)

 

というか、ここまで書いていろいろ思ったことがある。

私の背景(転職失敗、鬱になった話、その他諸々)を記さないとうまく文章が書けない。

更に書いていると伝えたいことがあれやこれやと出てきてしまう。

更に更に、これ音声or動画で伝えた方が早いしニュアンスも伝わるのではないか=伝えたいことを正確に、文字に起こすの難しい。

 

学生の頃は文章力もっとあったと思う。

少し悲しい気持ちになったので終わる。